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月曜は、朝から告別式→火葬→追悼式と進んで、午後1時半頃には全てが滞りなく終わり、2時には家に帰ってました。親子丼です、どうも。
ずっと斎場に泊まりこんで携帯から投稿してたからPC打ち久しぶり!

日曜の偲ぶ会では長兄が孫代表でスピーチしたらそれ聞いて私大号泣、次兄も号泣。皆で泣いた。
しゃくりあげまくって、最後はちょっと声も出て。泣きたいわけでも泣こうと思ってたわけでもないのに、涙が溢れて零れて止まらなかった。
眼球と頭が痛くなるくらい泣いた。体力使ったなー。
あそこまで泣いたのは何年ぶりだろう? 片手では足りないぶりくらいかな。下手したら子供のとき以来かもしれない。
月曜も火葬が済むまではホロホロと泣いてた。
ぶっちゃけ今現在でもきっかけがあったら涙止まらなくなりそうなんだけどね。

何で涙って出るんだろう? 何で人も動物も死んだの見聞きしたら涙が出るんだろう?
女性がよく泣くのはストレス発散の意味もあってその涙にはストレス物質が含まれていると言うけど、人の生死に関わる時の涙ってのはどういったものなんだろう?

とか、式の間とか不思議に思ってた。
ほんの2~3日前まで息をしてたのに、それを見たのに、いつの間にか物と化し、あっという間に細かな骨と変わった。
こんな風に死んでから葬式までの間がなく、怒涛のように過ぎていった悼む日々は初めてです。
だから、まだ上手く受け止めたり整理したりすることができていないように思う。
孫の中で最後に生きている姿を見たのは私らしく、あとはおばちゃんが傍にいたらしい。
翌日にはまた見舞いに行って撮った写真見せるつもりでいたからさ~。心構えが全っ然できてない所に「心臓止まった」ってストンッと降って飛んできたもんだから。ね。
まぁ、しばらーくは何かにつけて思い出しては涙に暮れると思います。
ばあちゃんであって同時に親代わりでもあったばあちゃん。
いっぱいメシ食わしてもらって、一緒にいっぱいクロスワードやって、街に連れてってもらって一緒に絵画展行ったりパフェ食わしてもらったり地下鉄乗ったり。
ばあちゃん家でもいろいろ教えてもらった。漢字や本に対する姿勢や心が育ったのは半分はばあちゃんのおかげだ。
絵が好きなのもやっぱりばあちゃんの影響だっただろうか?
ばあちゃんは絵を描くのが好きで、めっちゃくちゃ上手くて、式の時に知ったけど東京の上野美術館に
飾られたり賞獲ったりしたほどの腕前で、私はばあちゃんが絵を描く姿が大好きだった。昔も今も。
そのものの良さや価値って、後になって気づくんだよね。その年齢によって感じ方は違うから、どうしてあの時…って思ってももうどうしようもないことで。
だから、気付いた後からどうにかするしかなくて。そんなことで意味があるのか?とか自分でも思うけど、でもだからって何もしないのも納得いかなくて。んー。
ま、ぜーんぶ自己満だ。
誰かのためも、自分のためも、世界のためも、何のためでなくても、どれもこれも何もかんも、自己満足だ。良い意味としても、悪い意味としても。
すべて、自分に帰結する。

自分は、ずっと絵を好きでい続ける。本を好きでい続ける。
もはや自分の一部であるものだけど、意識を少し違うとこに置いてこれからはいこうと思う。
ばあちゃんは絵も本も字を書くことも好きだったから。好奇心旺盛な勉強家だったから。
その心に沿うように、生きていけたらと思う。…まぁ、できたら、だけど。
絵も、頑張ろうと思う。ばあちゃんみたいにはいかないと思うけど、今よりは上を目指そうと思う。
自分のことだからすぐ怠けたり適当にやったりすぐ諦めたりするだろうけど、ばあちゃんのことを忘れずにやっていこうと思う。
ほら、アレだよ。

俺が、お前が生きた証だ。

ってやつ。
私が、私たちが生きている限り、忘れない限り、ばあちゃんはいつまでもこの地球上にい続ける、生き続ける。
想い出は蜃気楼みたいに朧気で遠いけど、それを見続けて生きていきたいんだ。





ありがとう。さようなら。
ありがとう。ありがとう。 ありがとう。
やり遂げれなかったことがあったろうか。
私の思い至らない部分で消化し切れてないことがあったろうか。
迷惑ばかりかけて、なーんにも返せないまま見えないトコに行っちゃったね。
ごめんね。
今の私は、確実にばあちゃんなくしては語れない。
本来親から与えられるであろうことを、全部ばあちゃんから与えられた。
庭の緑を、花の鮮やかさを、今でも覚えてる。
春の柔らかさも夏の暑さも秋の葉の落ちる様も冬の寒さも、思い出と言えるものが多いのはばあちゃん家だ。
両親のことで、第三者の中で唯一にして一番の理解者だった。
一番の友達だった。先生だった。親よりも親だった。
どんなことをしても表し切れない、私の全部に深く深く刻まれてる唯一の人。
いまだ失くしたと思えない自分がいる。
死に顔は眠った顔そのままで、筋肉は硬く全身はドライアイスで冷やされ触れた指が痺れたようになるくらい冷たいのに皮膚は触れると柔らかく、髪はふさふさと変わらずそこにある。
起きてきそうなのに、起きてこない。
そこにいるのに、もういない。
でも、あちこちに、たぶん、気配を感じる。気がする。
物理的な気配じゃなくて、想い出の欠片として。
花や桜が咲き誇る時期に逝ったから、同じ花を見るたびに思い出すよ。
ばあちゃんの笑顔のような満開の花の数々。ばあちゃんの大好きな花たち。
ばあちゃんはそこで笑ってる。ばあちゃんは、あちこちにいるんだ。
寂しいけど、力になってくれるんだ。
ありがとう。さようなら。
ありがとう。ごめんね。
ありがとう。

ありがとう。


ありがとう。



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